2026.01.29
- 津上裕 Hiroshi Tsugami

- 1月29日
- 読了時間: 2分

今年は思うことを発信していきたい。
さて。
何を?
そうね……。
今まで何も書いてこなかったのは、この壁だ。
この壁はまだずいぶんと高い気がする。
なので、所感というか、何を発信しようかということを書いてみようか。
壁の周りをウロウロしていれば、何か見つかるかも知れない(書きながら考える)。
今更僕がいうまでもなく、書くということは、簡単なようでとても難しい。
「話す方が楽」と思うのは、音は発された途端、宙に消えるからだろうか。
(だからといって、同じように消え去る音楽をやるのは楽な気がしないのだが……。)
「何を書くべきなのか?」「何を書いたら良いのか?」という問いは、一見お利口そうに見えて、いつも寝ていてジャンプに失敗する猫のようなものだ。
そんな問いのリアリティは、ふと浮かぶ問いの前にどんどん透けていく。
「自分は何者なのか?」
ー今、思い出したこと。12月の昼下がり、早咲きの桜に驚いてスマホを構えた。後ろの幹にフォーカスして、花は前ボケしてしまった。ー
自分は何者なのか?
それを語ることはひどく難しい。
だからひとまず、語り出してから考える、人間は(少なくとも僕は)そうしないと何も語ることができない気がする。
語ることを決めてから語る人ですら、頭の中で一度、何を語るか分からずに語り始めているのだ。
(生まれた時から一生分の語るべきことを知っている人間がいるだろうか?)
だから、つべこべ言わずに語り始めることだ。
別に人がみなくても良いし、自分も辛いから二度とみない。
ただ語る時間が、掛け替えのないものだ。
語られたことばはその時点に留まって、離れていく私たちを待っている。
そのことばは、ある時それを思い出す自分にとって重要な意味を持つかも知れない。
あるいは、違う軸線を生きる誰かにとって良きものになるかもしれない。
素敵な誤解。
だから、奇跡を願って、つべこべいうのはやめることだ。
そうすれば、いつか私たちはもう一度、桜と口下手な鶯とあたたかな陽気に包まれて、風の歌を聴くだろう。



コメント